モウコハン。

   

嬉しい反抗期

長男が3歳になる頃、それまでにない変化が訪れました。

自分の気に入らないことに怒った態度を見せたり、やりたい事ができないとちょっとダダをこねてみせたり。。

これは、いわゆる”反抗期”と呼ばれるものでしょう。魔の3歳児なんて言われるように、一般的には「悪いこと」として受け止められているようです。

でも私にとって、この変化は「大変」より「嬉しい」ものでした。それは何故?

その変化は立派な成長の証

長男は4歳頃まで、何かにつけ発達が遅めでした。他の子と比べてはイケナイとは思いつつ、どうしても気になる”遅さ”は否定できず、私は初めての育児ということもあって、さんざん悩んだものです。

しかも長男は誰からも珍しがられるほと本当に従順な態度の子で、あまりに「いい子」すぎるところがありました。天邪鬼なのか、他のママたちが手を焼くような場面では私はまったくといっていいほど苦労したことがありませんでした。

でも、「いい子」と感心されすぎるのも返って心配でした。「普通じゃない」ような気がして…。

そんな私の目から見れば、長男が3歳で人並みに反抗期らしき変化を見せてくれたことは、とても嬉しかったのです。 「反抗期」とよばれる時期を「必ず通る道」「通ったほうが良い道」と考えたとき、それを悪いこととして受け止めることはできませんでした。 それも発達の一過程なのだから、人並みに、遅れずに経験できたことは喜ぶべきことだと思いました。


寄り添って、全力で、一貫して

確かに、大変じゃないといったら嘘になります。私は何かあるたびに全力で子供と向かい合うよう心掛けていて、手抜きが苦手。些細な間違いもイチイチ説明し、子供がちゃんと返事をするまで何時間でも待ちます。

そんなことをしていたら疲れるのは当然だし、人によって賛否があるしょう。でもこれが今の私の仕事であり、私にしかできないことでもあり、 何よりも我が子のためになることと思い、決して手抜きをしないでやってきました。

それまで以上に体力を使うし、精神的にもイライラすることは多。でもそのイライラは、悪いイライラではないと思います。

できないことをやれとは言わない。できることをやらなければ、子供の目を見て真剣に話し納得させた上で、どんなに時間をかけてでも完遂させる。

できて当然のことでも、そこに垣間見えた懸命さや粘り強さを褒める。ちょっと難しいことができたら、しつこいほど褒めまくる。

これが私の育児。決して完璧ではないし反省点は多いけれど、自分なりの信条を持って続けてきました。

それは たとえ”反抗期”の真っ只中にあっても変わることはないし変えてはイケナイとも思い、疲れるけれど一貫して続けました。子供のために疲れるのも私の仕事であり、それが幸せだからですね。。

振り返って、今

この記事を書いてから長い年月を経て、いま思うこと。

長男に関しては、「育児」と呼べる期間はもうほぼ終わりに近づきました。周囲との違いから様々な悩みを抱えた時期を乗り切り、自分のアイデンティティーを確立してすっかり落ち着いた少年へと成長した長男を見ていると、 やっぱり自分のやり方は間違っていなかったと、ようやく、自信をもって言えます。敢えて険しい道のりを進んできた甲斐がありました。たくさんの苦悩も疲れも、どこかへ吹っ飛んで消えました。

子供は成長とともにどんどん親から離れていきます。また、そうさせてあげなければいけません。そうやって自立してゆき、やがて一人で社会へ飛び出したときに、自分で考え、解決したり回避したり乗り越えてゆく強さを育てるのが育児。 だからペットのように甘やかすばかりではいけないのです。順番を間違えなければ、私たちは我が子よりも先にこの世を去るのです。何があっても墓の中から手を差し伸べて直接助けてあげることはできませんし、長生きできても確実に老いて弱くなっていくわけです。そのときになって困らないように、子供自身の生きていく力を育ててあげましょう。

果てしなく長く感じられる育児も、過ぎてみれば、あっという間。

あの時もっとああしてあげればよかった…
どうして私はあの時あんなに余裕がなかったんだろう?
そんな反省点は挙げればキリがないほど浮かんできます。

でも、その時々の自分は懸命だった、手抜きはしなかった。失敗もたくさんあったけれど、あの時はそれが最善だと考えたうえでの行動だった…ただ自分が未熟だった。

そんなふうに振り返るとき、大切なのは、未熟なりに懸命だったということだと思うのです。

今これをご覧の方々…初めての育児に悩むママたちにも是非、ご自身の信念のもと、お子さんの成長力を信じて頑張っていってほしいと…今は大変でも、いつか報われるときが来るから大丈夫ですよと…そう伝えたい。。

ママゴコロ
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